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龍と鯉は親戚~登竜門

 登竜門というと、立身出世の関門として、その狭き門を代表する言葉として知られていますが、この言葉の語源を探っていくと、まずは「後漢書」の「士その容接を被る者あれば名付けて登竜門となす」にゆきあたります。意味は“(ある偉い人に)お近づきできた者がいれば、その者を「龍門を登った者」という”との事で、この“ある偉い人”は実力者でしたが、非常に厳しい方で、お近づきになれる事は非常に希である事を表しているとの事(権力者には皆すり寄るのですが)。
一方、中国の黄河上流(山西省河津県と陝西省韓城県との境)にある難所(急流)を“龍門”といい、ここを登れると“魚”が龍になれる、という話が、何時しか魚ではなく“鯉”がここを登れると龍になるという話に変化したという記述もあります。
また、中国では鯉は龍の親戚として考えられていたようで、今は失われている「三秦記」には、“兎(昔の伝説の王)が治水のために龍門山を通って黄河を通した。このために毎年3月に全国の鯉が先を争って龍門を登ろうとするもし登れると雲雨を従え、天の炎で魚の尾を焼き払って龍になる事ができる。但し、1年に72匹の鯉しか登れない”との記述があったようです。いずれにせよ、狭き門という点では共通し、この門を通った者を龍に例えているのが共通項のようです。
 話は変わりますが、鯉の錦の模様を出すのは大変な苦労があるようです。和田養鯉場さんのブログを見ていますと、このプロセスが良くわかります(楽しみも)。大変な選別作業を経て育てあげた鯉は、お客さんの手に渡る時に龍になっているのかもしれませんね。
 所で、龍のイメージが今のように出来上がったのは後漢(25~220年)時代です。王符の「三停九似」説に、“龍の頭はラクダ、角は鹿、目は鬼または兎、耳は牛、うなじは蛇に、また鱗は魚、手足の掌は虎、爪は鷹、また腹は蜃(シン)”とあり、これがベースとなって以後描かれる事になります。ここで蜃(シン)という訳のわからない動物が出てきますが、これは蛇と雉が交わって生まれる動物とされ、やはり架空の動物のようです。但し別説では蜃(シン)は大ハマグリという記述もあるようですが、お腹が“はまぐり”ではメタボのようで中々分かり難い気がします。いずれにせよ後漢以後にこのような龍のイメージができあがり天がける姿が描かれる事になり、北方騎馬民族経由でこのイメージが北アジアに広がったようです。高句麗壁画の龍の姿はまさにこのイメージでしたが、これ以前の、殷や周時代の龍は動かない、静的な存在だったようです。
 さて、滝(激流)を登りきり、鯉から龍に変化しようとする姿、“気迫”はまさにこの“動き”そのものです。昔の遣唐使の留学生・留学僧、また明治時代の留学生にもこのような気迫が充ち満ちていたような気がしますが、現在はどうなのでしょうか?アジアの若者に比べ、日本の若者には気迫が乏しいのではと思ってしまう事が多いのですが年のせいでしょうか?時代が違うといってしまえばそうなのかもしれませんが・・?さて、オリンピックはどうなるでしょう。
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